2011年5月27日金曜日

5月22日(日) ローマにて、

5月22日(日) ローマにて、朝から暑い陽射しです。

今日は、自由行動の日、妻はポポロ広場からコルソ通りをウインドウ・ショッピングへ。

私はカラカラ浴場から、アッピア旧街道を歩いて来ました。
テルミニ駅から、714番のバスで巨大なカラカラ浴場の廃墟へ、ここの見学の後、アッピア旧街道を南下します。

サン・セバスティアーノ門を抜け、ローマ帝国でキリスト教が認められていない時代のネロ帝政下のサン・ピエトロ(ペトロ)の殉教で有名なドミネ・クォ・バディス教会前を経て、
大きなカタコンベ(地下墓地)がある、サン・カッリスト(休憩施設があったので、休憩、昼食)、サンセバスティアーノを横に見て、歩きます。

要塞に変えられた、チェチーリア・メテッラの墓の前(ここまで、カラカラ浴場から4km以上。)で引き返す予定だったのですが、
ここまでの舗装の石畳が、比較的新しい時代のものだったので、満足出来ずこの先比較的保存の良い道路を2km程歩きました。

結局、ヴィア・トル・カルボーネと交差する所まで歩き、20分ほど待って765番のバスでメトロのアルコディ・トラヴェルティーノ駅に出てテルミニ駅まで帰って来ました。

5時過ぎに夕立があり、だいぶ涼しくなりました。

夕食がてら、明日のシエナ行きの便の確認とコロッセオの夜景を見るため夕方からお出かけしました。
夕立があったので、空気は涼しく気持ちの良い散歩になりました。
しかし、帰って来て直ぐにTシャツを洗濯した時に、胸ポケットに入れていた7日間のパスも一緒に洗ってしまいました。

おまけに、コロッセオの帰りのバス便を間違え反対方向に乗ってしまい、乗換えたバスにはチケット販売機が無く途中でメトロの駅で購入、結局、面倒なメトロでの帰還となりました。
自業自得、泣きっ面に蜂でした。



以下、カラカラ皇帝の大浴場跡

床タイルの一部



ここが入り口

ヘラクレスの像もここにありました。

出口では何かお祭りが

ここからアッピア街道の始まり

右が旧道

サン・セバスティアーノ門

ドミネ・クォ・ヴァディス教会、
クリスチャンでなくても「クォ・ヴァディス(ラテン語で、どこに行くのか?の意味)」と言う言葉は良く知られていますね。

左を行くと旧道

旧道沿い

マクセンティウス帝の競技場跡、今は麦畑

チェチーリア・メッテラの墓

の内部

旧道が続きます。

街道沿いの屋敷の遺跡

補修の境目があります。

ローマ時代の石畳

轍が残っています。



ここで終わりにしましたが、まだまだ続きます。

夜のコロッセオ、インペリアル通りから

コロッセオを背に

凱旋門も

インペリアル通りの方向を

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