2011年10月7日金曜日

10月6日(水) クラコフにて、アウシュヴィッツ行き

10月6日(水) クラコフにて、アウシュヴィッツ行き

この日は、それぞれの行動日です。
私は朝食を早めに済ませ、08:25発のバスに乗るため、鉄道のホームの下を通り東側にあるバスターミナルへ。
ホテルからターミナルまでは早足で10分ほどでした。

約2時間かけてアウシュヴィッツ(ドイツ名、ポーランド名はオシフィエンチム) 強制収容所に到着(13zt)。
鉄道でも行くことは可能ですが、駅から少し離れているそうです。
路線バスにはそれ程乗っていなかったのですが、着いてみると沢山の観光バスと大勢の人が入場を待っていました。

窓口で聞くと、10時から15時まではガイド無しでは入れないとのことで、やむを得ず40zt払い英語のツアーに参加しました。
10:30からのガイドツアーは20分の休憩と3km程離れた第2アウシュヴィッツとも言われる広大なビルケナウ収容所への移動(5分程)を含めて3時間ほどかかりました。

2時5分にアウシュヴィッツに戻り、2時10分発のクラコフ行きのバスにぎりぎり間に合いました。
ホテル帰着は4時半でした。
今日も暖かく、25℃はあったでしょうか。
明日からは10℃程下がるらしいです。

一休みして、夕方街へ、バルでピオロギ(ピロシキ)を頼んでみました。
一皿(8~9zt/200~230円)に大きなピロシキが8ケ、美味しく半分ずついただきましたが、多すぎて結局残してしまいました。
暗くなった中央市場広場には、大道芸人も多く、沢山の人が出ていました。

明日は、クラクフ駅を夜10時発の寝台車でハンガリーのブダペストに向かいます。
ブダペスト着予定は明後日8日の朝9時前です。

明日から10日(月)まではどちらの街も雨模様、最高気温も14℃程度のようで、覚悟して廻ります。

クラクフ駅東にあるバスターミナル

バスチケット売り場

乗り場G1にアウシュヴィッツ行きが

ガイドツアーの出発、ガイドはMr.マイケル

アウシュヴィッツ収容所門

門には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字が

囚人棟は28棟、

最大2万8千人が収容されました。

「アウシュヴィッツ収容所」と「ビルケナウ収容所」の位置と広さが

チクロンBの空き缶

眼鏡

お鍋など

かばん


左は人体実験の棟、右は牢獄などがある「死のブロック」、
向こうの壁は「死の壁」

「死の壁」、銃殺に使われました。
他に集団絞首刑が行われた広場があります。

見張り塔

高圧電流を流していた有刺鉄線

ガス室、アウシュヴィッツのは小さいのですが、ビルケナウにはこの何倍もの大きさのガス室がありました。

焼却炉

バスでビルケナウへ

ビルケナウの「死の門」へ続く鉄道

「死の門」の上にある見張り室へ

見張り室から北側を

南側を

引っ込み線が遥かに続いています。
この先で「死」の選別が行われました。
1941年から1945年に開放されるまで、百数十万人の命が奪われました。

囚人棟の内部

シャワー、トイレ棟

「死の門」からの鉄路、左の引込み線脇で死の「選別」が行われました。


当時のパネル写真

女性棟のベッド

巨大なガス室だった所、天井が落ちています。
最大2,000人が犠牲に

引っ込み線はここで切れています。
この先にガス室があります。

クラクフのバルで、後ろで修道女さんがお食事を

8コ入りピオロギを2皿頼んでしまい、後悔

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